「世界中が平和であるよう孫にも語り継いでいきたい」―。6日、広島市の平和記念公園で開かれた平和記念式典に、原爆投下の2日後に入り被爆した亡き父徳一さんをしのび愛媛の遺族代表として初めて出席した吉岡稔さん(66)=松山市立花6丁目=と、妻の弥生さん(60)。69年前から続く広島の悲しみを表すような雨が強く降りつける中、平和への思いを強くした。
 徳一さんが50歳を過ぎたころ被爆手帳を申請し、稔さんは初めて父が被爆した事実を知る。しかし、亡くなるまで、父は体験を語らなかった。
 徳一さんは2013年に90歳で亡くなった。父はどんな思いを抱えて生きていたのか―。答えの一端が知りたくて、式典に参加した稔さん。慰霊碑に手を合わせ「大変な思いをしたね、ご苦労さん」と父を慰めた。
 式典を終え、稔さんは「安倍総理も来ていたが、真摯(しんし)に広島のことを思って安易に集団的自衛権行使を進めないでほしい」と願った。