愛媛県松山市南西部の余戸地区で、周囲に円形の溝(周溝)が巡らされた鎌倉時代末ごろの土坑墓(どこうぼ)が出土した。調査した市埋蔵文化財センターによると、周溝を伴う中世の墓は、県内で初めてとみられる。また、開発前の発掘などが義務付けられている「埋蔵文化財包蔵地」ではない地区で、県内の専門家は「発掘事例が少ない余戸地区で、中世の遺跡が存在することが分かったことは意義深い」と注目している。
 3月末、余戸西2丁目の余戸中の孝遺跡で、幅0.4~0.8メートル、外径5.5メートル、深さ0.2~0.4メートルの周溝を伴った長さ約1.0メートル、幅約1.2メートル、深さ約0.3メートルの土坑墓が出土。膝を曲げた状態の人骨と木棺の一部、埋葬品として直径10センチほどの土師(はじ)器が見つかった。
 土師器は、中央付近に「稜(りょう)」と呼ばれる屈曲部がある「吉備系(岡山)」で13世紀後半のものと考えられる。県埋蔵文化財センターの中野良一調査課長は「松山平野で吉備系は珍しく、埋葬品として入っている点が面白い」と話す。
 今回は松山外環状道路空港線の整備に伴う調査で、区画が限定され墓の全容は明らかにできなかったが、隣接地を県埋文センターが調査する予定。中野課長は「中世墓を考える上で重要な資料になるだろう」と話している。